今日のワイズ

2018年7月14日 (土)

世の中の要望と教育の理想

先日、卒業生のK君がワイズに顔を出してくれました。

彼は現在、西春高校の2年生ですが、こつこつと勉強し、こないだの期末テストで遂に学年でトップ50以内に入ったそうで、志望校が名市大から名大になるかも、と話してくれました。

さて、夏休みも近づき、ワイズの夏期講習「月の頃はさらなり」ももうすく始まりますが、ここにきてまた小学生の入会希望者がにわかに増えてきました。

小6は10名を超え、小学生は20名を超えました。

もちろん、ありがたい話です。

ありがたい話ではありますが、最近懸念もあります。

中学生になるとワイズが厳しいからと言って退会する子が多いんです。

別に厳しくしてるつもりはありませんが、世の中が甘ったるくなってきたので、相対的に厳しく感じるのでしょう。

はっきり言います。

ワイズは中学生と高校生が主体の塾なんです。

だって、中学部・高校部の講師は5名で、小学部は私1人なんですよ。

しかも卒業生には東大生や京大生もいるし、一宮高校生もたくさんいます。

つまりそれだけレベルの高い(S鳴やN田塾よりも断然わかりやすくて面白くてタメになる)授業ができる講師たちなんですよ。

それが現在中2の生徒は1名です。

この学年も小学生の頃は10名いたんです。

確かにワイズの小学部は「まだ小学生だから、最低限勉強の習慣が身につけばいい」というスタンスで授業形態ではなく、個別で本人たちの自主性に任せてやらせているので気楽なのでしょう。

でも、中学部はもうまったなしです。

学校のテストでは順位がつき、通知表がつき、志望する高校に入るためには入試で、あるレベル以上の得点を取らねばなりません。

そのために、中学生は、しっかりと授業を受け、きっちりと宿題をし、しっかりと勉強を身につけていく時期なんです。

それなのに

「週3回来るのがしんどい」

「学校の宿題だけで精一杯」

「土日は遊びたいから補習は嫌だ」

という理由でいなくなったのです。

(というか、それができないなら成績を上げる保証ができないので辞めて下さい、こちらから頼みました。)

でも、昨日家内と考えたんです。

「結局、ワイズを辞めた子たちはどっかの3流塾に入って成績も上がらないのに高い授業料払うんでしょ。だったら、こちらも譲歩してワイズに残して、その子たちを少しでもいい人生にしてあげたら」と。

確かに、このままだと、今の小6が来年中学部になった時、半分くらいいなくなる気がします。(特にAちゃんは真っ先にいなくなりそう)。

同じ轍を踏むのも確かに学習がないなぁと思うし。

そこで、現在ワイズの小学部に通っている生徒及び父兄、ワイズ入会希望の生徒と父兄に集まっていただき、大々的に会議をしたいと思います。

題して「私たちの一番近くにある一番素敵な塾をみんなで考えよう!」です。

妥協案は3つ。

①子どもが、週3日通って、宿題もやって、補習に来る、のをどこまで妥協するか。

②親が、週3日行かない、宿題しない、補習に行きたくないという子供に対し、どこまで妥協するか。

③私が、週3日来ない、宿題もやらない、補習にも来ない生徒に対し、どこまで妥協するか。

この中で誰がどれだけ妥協するか、です。

まぁ、私としては、現状でついていける子はそのままで、ついて来れない子は別のコース(小学部同様、個別で、学校の宿題だけ片付けにくる)を設けて分ければいいかな、と考えています。

正直、これだけのことさえやってくれれば、成績を上げたり、志望校の合格率を上げることはたやすいんですけどね。

はじめに出た西春高校のK君もワイズに残ったので、志望校にも入れて、その後の成績もぐんぐん伸びてるわけで。

私立中学受験をやってるN進研やK進とかに比べれば、全然授業時間も少ないし、宿題も少ないし、授業料も安いんですけどね。

まぁ、私がサスケセット作ったり、ワイズ遠足やワイズキャンプ、ワイズクリスマス会など楽しいイベントを企画するもんだから、「ワイズは塾というより楽しい所!」というイメージを子どもたちに持たせちゃってるのかもしれませんが。

いずれにせよ、一度生徒たちには「中学生生活とはどんなものか」をガツンと説明して、覚悟を持たせたいですね。

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2018年7月 8日 (日)

もっと中を見ようぜ

面白いのでもう1つ。

「不愉快なことには理由がある」から。

「直感はだいたい当たっている」です。

ある大学で講師の授業風景のビデオを学生たちに見せたところ、わずか2秒のしかも音声なしの映像だけで、その講師が有能かどうかを判断したのです。

その後1学期間、本当に授業を受けた後にもう一度判断させたが、2秒の意見と同じだったのです。

まぁ、あくまで主観なので、その講師が本当に有能かどうかはわかりませんが、第一印象は変わらないということです。

だからこれを選挙に生かして、立候補者の映像を2秒みて投票すれば、膨大な時間や選挙費用をカットできると書いてありました。

ただ、これも1つ注意点があり、人間は外見で選択を誤りやすいそうです。

かわいかったり、かっこよかったりすると判定が甘くなるんだとか。

私は2秒で人を判断できませんが、外見にとらわれず中身で判断する自信はあります。

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集合知

今回はちょっとタメになる笑い話を。

前回に引き続き橘氏の「不愉快なことには理由がある」からです。

タイトルは「みんなの意見が真の意見」です。

昔、イギリスで牛の重さを当てるコンテストがありました。

少額のお金を支払うと参加でき、当てれば豪華景品がもらえるというものです。

中には牛に詳しい専門家もいましたが、ほとんどは素人。

そんな牛おるかい!という極端に重たい数字を書く人や極端に少ない数字を書く人もいたが、全員の平均値を計算すると見事に当たっていたのです!

つまり素人が集まれば、一人の専門家よりも正しい答えが出せるのです。

これを政治の場に取り入れれば、国民にとって重大な案件を決める時に、一番正しい答えを導き出せるかもしれません。

ただし、これが成立するのには一つ条件があるそうです。

「バカが正規分布している」ということです。

つまり極端に右よりのバカと左よりのバカがいないと成立しません。

今の政治がダメなのはバカが偏っているからだそうです。

この「素人の集合知が専門家の意見より正しい」というのは、物を選ぶときにも現れます。

例えば、スマホを買うとき、細かいスペックや仕様を熟慮せず、なんとなくみんなが持ってるからとか、見たことあるからという理由で選ぶ。

こうして、大手ブランドが一人勝ちしていくのです。

でもまぁ、これは思考停止みたいで、私は嫌ですけどね。

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2018年7月 7日 (土)

「勉強しなさい」は無意味

甲子園の県予選大会も始まり、明日から「名古屋場所」も始まります。

私自身の「競泳アジアマスターズ大会」も始まるので、練習で忙しいのですが、今年初めて相撲部屋の稽古を見てきました。

生まれてから50年近く、人からサインをもらう機会があまりなかった(競泳の藤井拓郎選手と格闘家の美濃輪育久選手くらい)のですが、意外にお相撲さんは気さくにサインや写真を撮ってくれるので、とても親しみが湧きましたね。

白鵬や栃ノ心、豪栄道や高安、逸ノ城などたくさんワイズに飾ってあるので、ぜひ一度見に来て下さい。

それから、先日、稲沢の国府宮で稀勢の里の土俵入りを見ましたが、その時の餅まきの餅もゲットしましたよ。

これでまた一層相撲が好きになりました。

さて、今日は橘玲氏の「不愉快なことには理由がある」という著書のお話をしましょう。

非常に面白かったです。

簡潔にまとめると著者は進化論者で、「人間が引き起こす世の中のあらゆる事象(特に不条理なこと)はすべて進化論(つまり、人間に組み込まれた遺伝子)で説明できる」というものです。

たくさんお話したいことはありますが、今日はその中の一つ「遺伝と能力」をお話しましょう。

双生児の比較研究から、様々な能力や性格の遺伝の影響を計測した結果、なんと音楽や数学、スポーツなどの才能は「遺伝子」の影響が80~90%、「子どもの属する集団(つまり友達関係)」からの影響が10%、「家庭環境(つまり親の言うこと)」が子供に与える影響なんかほぼ0%という結果でした。

つまり、例えるなら

子どもの成績が上がってほしいと親がどれだけ望んでも、親の才能(つまり親の頭のよさ)とよくつるんで遊ぶ友達のレベルで決まってしまい、親が「勉強しなさい」と言っても参考書を買っても、ほとんど意味がない、ということになるのです。

ただ、言語能力だけは60%が「家庭環境」の影響なので、極力、小さいうちからいっぱい話かけ、会話をし、本を読み聞かせ、活字に触れさせるようにすると国語の成績は比較的上げやすいでしょう。

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生きてさえいてくれればそれでいい

テレビ嫌いな私が民放で視聴するのは「SASUKE」と「箱根駅伝」くらいだったが、最近ここにもう一つ加わった。

「東大王」というクイズ番組だ。

録画放送を見ながら東大生たちより先に答える、ということをして楽しんでいる。

さて、忙しい仕事の合間を縫って、なんとか1日1冊の読書を続けているが、今日はその中から「東大」にまつわるお話を。

イタリア語通訳の田丸公美子さんの息子と、百マス計算でおなじみの陰山英男の娘の話である。

どちらも東大に合格している。

こんなこと言ったら身もふたもないが、結局賢くなるには「才能×努力」である、とこれらの本を読んで再確認した。

はっきり言おう。

努力だけでは東大には入れません。

そもそも東大生は「勉強しなさい」なんて言われたことがない。

だって、勝手に勉強しているから。

そして生まれ持った才能が全然違う。

みんな幼少の頃からすごい伝説を持っている。

田丸さんの息子は1歳になったばかりで「4語文(ヒロミがユウタをガブリとかんだ)」を使い、(普通の子はまだ「あ~」とか「う~」)、2歳で「この部屋は臭うから出て行きなさい」という自然な会話をし、3歳で日本語と英語とイタリア語の3か国語で電話応対をしていたと言う。

陰山さんの娘も聡明で、就学前に百マス計算を2分(中学生や高校生でも2分でできない子はたくさんいる)で解いたという。

ちなみに私の叔父も、就学前にすでに大人に混じって麻雀をし、しかも強かったという。(普通の子はルールも理解できず、積み木をするのが関の山だ。)

田丸さんもはっきりと書いている。

「親がどんなに強要しても、もともとの素養がないときは無駄」だと。

もちろん、素養があっても努力しなければ絶対に東大には入れませんが。

だから、親は子供に過度な期待やプレッシャーをかけてもしょうがないんです。

成績が思わしくないのも、勉強をしないのもその子のせいじゃないんです。

それがその子の生まれ持った性質なんです。

田丸さんも書いています。

「本人の自主・自立に任せて放任したら、勝手に開成に合格して、東大に合格して、学長賞を受賞して、最年少で司法試験に合格した」と。

親はその子を信じて見守るしかありません。

もちろん、「礼儀作法」などの躾はするべきですが、「勉強をする・しない」は親が言うべきことじゃないんです。

図書館に連れていく、本を読み聞かせる、辞書や地球儀を買いそろえておく、という環境は整えてもいいですが、興味を持つか持たないかはその子しだいです。

もっと極論を言えば、「子どもが生きてさえいてくれれば幸せ」。

それくらいのスタンスに立ち返れば、勉強の成績なんてちっぽけなもんですよ。

 

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これぞ人類が最後に行きつく新世界だ!

文科省の高級官僚と東京医科大の受託収賄事件。

こんな人間が教育界のトップをやっているんだって。

これが漫才のネタなら「ようできたストーリーやなぁ。ウケルわ~!」で済むが、現実なら笑って済む話じゃない。

これじゃ「子どもがテストでカンニングしてもバレなきゃいい」と教えているようなものだ。

しかも、血税をたくさんもらって億をこえるようなマンションに住んでいるという贅沢ぶりだし。

こっちは生徒たちのために毎日一生懸命働いても赤貧で、親に頼んで実家の一部を貸してもらい、服は買えず、お米がなくなると中元でいただいた素麺を食べ、野菜を栽培し、それでも経済的に苦しいので、もうすぐ50歳というのに家族を増やすことにも慎重にならざるを得ない状況なのに。

あ、じゃあ今回は私の理想の社会の話をしよう。

先日、NHKの番組で「お金儲けのジレンマ」をやっていた。

人間はやはり欲望で動く生き物なので、資本主義はなくならないんじゃないか、という意見と、

ポストキャピタリズムと言って、物も情報もシェアする社会主義に近い平等な世界がいい、という意見が対立し、議論が進んでいたが、

私はそのどちらも上手く融合した全くシンプルで新しい社会を提唱している。

それは

①金儲けしたい人はすればいい。但し、年間600万円まで。余剰分は国庫に納める。

②現在人手不足で早急に必要な分野の仕事(介護や医療や保育など)で働く人たちには、国がその労働に見合った賃金を国庫から支払う。

③その他の人たちは従来通り。ただし、生活保護を受ける人は自分のできる範囲で何らかの形で必ず社会貢献をすること。

これなら、欲望の強い人間のやる気も損なわず、格差もかなり緩和され、未就労者の数も減り、介護や保育などの人手不足も解消し、生活保護でただ飯を食う人もいなくなります。

これには根拠があります。

DNA的に見て人間は欲望(利己性)も持っているし、協力性(利他性)も持っているので、その両方のバランスを考えたアイデアなので、人間が無理なくそして自然にできるシステムだと思います。

ま、健康な体があって、毎日子どもたちに勉強を教えることができて、今日一日生き伸びることができれば最低限幸せですけどね。

あ~、一度でいいからフォアグラとかキャビアとかフカヒレを腹いっぱい食べてみたいな~。

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2018年6月16日 (土)

国が「置き勉」容認て!

家内から聞いた話ですが、ニュースで「学校に勉強道具を置いて行きましょう」という方向に進んでいるとのこと。

しかも、教育のトップである文科省の推奨ならば、有無を言わせず、全国の学校が守らなければなりません。

これまでも「ゆとり教育」だの「電子教科書導入」など「バカじゃん!」と思う施策が多々行なわれてきたが、これも甲乙つけがたいほどバカな政策ですよね。

理由は「子どもたちが重い荷物を持ち歩くのは大きな負担になってかわいそうだから」だそうだ。

(・・・・・厚切りジェイソンの間)

逆だろ~!

重い荷物を持って歩かせることで体力をつけさせるんだろ!

言いたいことが山ほどあるが、一番言いたいのは「じゃあどうやって家で勉強(予習・復習・宿題)するんだ~!」である。

「置き勉」したら家で何も勉強できないだろ~!

今回のこのようなことになったいきさつはなんとなく想像がつく。

まず、親だ。

「毎日たくさんの勉強道具を持って登下校させるのは虐待だ~!」みたいなクレームが学校に入ったのだろう。

次に、バカな生徒だ。

先生が何度言っても、宿題は忘れるわ、教科書やノートや筆記道具を忘れるわで授業の進行に支障が出てきたのだろう。

だったら、学校に置いておけば最悪勉強道具を忘れることはない、という考えだろう。

これだと自己管理能力も身につかないわ、体力も身につかないわ、根性もなくなるわ、学力も低下してしまう。

でも、学校がこうなる理由も少しはわかるんです。

私の塾でも近年、宿題忘れる奴や勉強道具忘れる奴が増えてきたから。

もちろん私は宿題忘れた奴はぶっ飛ばします(今どき手を上げる教師も少数派なんだろうなぁ)し、道具忘れは取りに帰らせますが、最近は「それは勘弁してください」という親も出てきたのです。

でも、これを容認することは教育の放棄と等しいので、私は頑としてこのままの教育方針でやっていきます。

そこのところもよくよく考慮いただいてワイズにお越しください。

以っ上~!!

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2018年6月13日 (水)

間違った教育に早く気づけ!こんな事件を2度と起こさないために。

先日、紫陽花と蛍を観賞してきました。どちらもきれいでした。

さて、今回も皆さんの為になる教育(子育て)のお話ですよ。

先日、NHKの「日本のジレンマ」という番組で、「毒親」をテーマに議論がされていました。

この言葉を私はこのとき初めて耳にしましたが、どうやら今話題のワードらしく、簡潔に説明すると、

「現在、成人しても自立する力が備わっていなかったり、どう生きていけばいいかわからない人が増えていて、その原因は過保護に育てた親にある。子どもから見ればありがたいようで、実はとんでもなく人生を狂わされてしまった、と感じている。そのような親のこと毒親という。」

正直、私はこの言葉に一定の理解はするが、嫌悪感がかなりある。

自分の親に対してこのような言い方はないだろう、と。

確かに私のおかんも理不尽なことを言うこともあるが、育て方が間違ってた、と思うことはない。(まぁ、おとんもおかんも教師なので間違えることはないが)。

先日も、おかんとこんな会話をした。

「最近、耳が遠くてよう聞こえんから大声でしゃべって」

「ほな、補聴器買やええやん」

「はぁ?」

「補・聴・器・買~・え~・や~!」

「なんだって?」

「・・・・・・・・。おかんのあほう」

「親に向かってアホとは何よ!」

「聞こえとるやないかい!」

こんな親でも感謝はすれど、毒とはよう言えない。

まぁ、確かに番組のゲストの話を聞くと、同情の余地はあるが。

一言でいうと今の親は「過保護」なのである。

子どものことをよかれと思って、身の回りのことを子供にやらせず、少しでも危険なことを予測すると、先回りしてその危険を取り払い、食べ物や着る服、習い事や学校の進路など、その子の人生も含めすべての選択権を親が握って、すべて親の思い通りに描いたレールの上をただ、何の疑いもせず、葛藤もなく、挫折もなく、痛い目にも遭うことなく、子どもは進んでいく・・・。

これは本当に怖いことです。

子どもはいつか気がついて、人生最大の挫折に直面します。

「俺はいったいなんのために生きているのか」と。

生きている実感が湧かず、生きる意味や価値が見えないのです。

そして絶望的な虚無感に襲われて、もがき苦しみます。

でも、そこから抜け出せないのです。

親から生きる力を与えられなかったから。

地獄ですね。

そして、鬱蒼とした時間が過ぎ、自分の人生を軽んじるようになり、こうなってしまった責任を親、あるいは社会のせいにして、他人の命も軽んじるようになって、良ければずっと虚無感を抱いたままいつまでも自立せずに親元でパラサイトシングルになるか、中くらいなら親を殺すか、最悪なら新幹線の中でだれかれ構わず刃物を振り回して人を殺すことになります。

小学生にもなって親と寝ている人。「パパ・ママ」と呼んでいる人。

中学や高校にもなって、子どもの体育祭や入学式に参加している人。

大学生にもなって親からお金をもらっている人。

それが最悪のシナリオに向かっていることに早く気づきましょう。

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2018年6月 9日 (土)

剣がない!(唯一の武器だったのに!)

日本一の教育者、ロミオです。

そしてこのブログは日本一の教育書であり、教育に関する悩みや問題はこのブログを読めば即解決!

そんな後世に残るすばらしい教育ブログを毎回楽しみにしている方々、たいへんお待たせしました。

時間の空いた時にまとめ書きです。

まずは「AI」と行きましょうか。

昨今、AI関連の情報が目につくようになりましたね。

以前にも書いたように、私の予想は、大半の仕事はAIに取って代わられる、というものです。

そして、AIの苦手分野である、教育、医療、裁判、クリエイティブ関係の仕事など、人間のみが理解できる文章読解力や、人の気持ちを察することができるコミュニケーション能力が必要な職種がこれからも残っていく、と予想しました。

だから「これからもいっぱい読書をして勉強して、いっぱい人と関わって世間の荒波に揉まれて、人の気持ちのわかる医者か弁護士か教育者か芸術家を目指しましょう」と提言したわけですが、最近、この人間のほとんど唯一の武器である「読解力」が低下していることが明らかになったのです!

これは由々しき問題です!

読解力があればこそ、人間は勉強することができ、来たるAI時代にも人間の尊厳を失うことなく、仕事を得ることができるはずだったのに、このままでは完全に人類は仕事を失うことになるのです!

これは最近読んだAI関連の本にも書いてありましたが、「どうも最近の子は教科書が理解できていないんじゃないか?」ということで、大規模な読解力テスト「RST(リーディング・スキル・テスト)」が行なわれ、そこから導き出された結果、判明したものです。

例題を挙げましょう。

「私は岡田と広島に行った」と「私は岡山と広島に行った」という文を正しく認識するためには

岡山と広島が隣接する県であること、岡田というのは岡山よりも比較的多い苗字の一つであるという知識が必要です。

もう1つ。

「ヨーロッパは日本より緯度が高いので、夏の昼の時間が長い」という知識が教科書から与えられた時、「一日は昼と夜で構成される」という常識に基づいて、「ということは、ヨーロッパは日本より夏の夜の時間が短いんだな」と、論理的に推論しなければなりません。

そして、教科書はそのような常識や知識や論理的推理力が備わっている前提で作られているのです!

「こんな簡単なこと、間違えるわけないやんか~」、と思われた方。

このような問題が出題されるRSTで、現在の中高生の正解率がなんと半数ほどだったんです!

確かに私は25年間、教育現場で子どもたちと関わってきましたが、これは薄々感じていたことで、このテスト結果ではっきりと「子どもたちの読解力が危機的状況である!」ことが裏打ちされたのです。

残念なのは、「なぜこのような状況になったのか」の原因が解明されていないということです。

唯一、相関性が見られたのは、「私立中学受験を突破した子たちはこのテストが比較的良かった」ということだけだそうです。

ということは小学校高学年までに何らかのことが因子となって、この読解力の差が生じたということです。

ここからは、私の推測ですが、恐らく、今の子たちの読解力が壊滅的な状況になってしまった原因は、当たり前ですが「生活様式・生活習慣」にあると思います。

具体的には、親子の関係がゆるくなったこと、一緒にいる時間や会話する時間が減ったこと、そもそも本や新聞など活字を読まなくなったこと、大家族が減ったこと、近所の大人たちとの関わりが減ったこと、地域の行事に参加しなくなったこと、生活が夜型にずれていること、友達と喧嘩しなくなったこと、頭や体を使った昔遊びをしなくなったこと、虫取りや木登りをしなくなったこと、すぐ車などを使って運動量が減ったこと、手紙や年賀状を書かなくなったことなどなど、たくさん考えられます。

簡単に言えば、不便で質素な生活をし、スマホやゲームやテレビなどを捨てて時間を作り、親子や友達や兄弟や近所の人との会話や団らんの時間を持てばいいのです。

そのたくさんの会話から、新しい知識や語彙が増え、正しい使い方を覚え、自分の気持ちを伝える文章構成力が身につくのです。

将来、無職の生活困窮者になりたくない人は、今から「読解力」を意識して、上記のような生活に切り替えましょう。

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2018年5月13日 (日)

自分がしたいからする!それだけ

中間テスト勉強真っただ中ですね。

ワイズでは連日生徒が集まって朝から晩まで勉強しております。

さて、先日ゴールデンウィークを利用して沖縄と屋久島に行ってきました。

そして今回の旅でもたくさんの人に声援と差し入れを頂きました。

本当に日本人って親切だなぁと感じます。

ですから私も常日頃からなるべく人に親切にすることを心がけています。

まず始めに4月27日、琉球大学近くの29号線の上原交差点を少し越えたところで、あるおばさん(息子が名古屋の大学に在学)から「塩分補給タブレットと干し葡萄」を頂きました。

次に5月1日、鹿児島県垂水市の220号線の柊原小学校の近くで、おじさんとおばさんの3人の方から「お茶とのど飴」を頂きました。

また、5月3日、鹿児島県谷山港から219号に出る交差点で、あるおじさんから「チョコチップスティックパンと缶コーヒー「を頂きました。

また、大勢の方から声援を頂きました。

本当にありがとうございました。

さて、今回は「人の幸せって何だろう?」がテーマです。

今回の旅もそうですが、私が「沖縄行ってきました~!」と言うと、結構うらやましがられます。

でもなんか違う気がするんですよね。

もちろん、ある程度のお金や暇、そして丈夫な体がないと沖縄旅行はできませんが、別に特別贅沢をしているわけでもありません。

例えば、飛行機は格安航空で片道5000円ですし、沖縄島内の移動はすべて自転車ですし、宿泊ホテルも1泊3000円代の古民家ゲストハウス(みんなのいるキッチンでご飯を食べ、風呂なし、トイレ・シャワーは共同)です。

つまり、みんなと違うところにお金をかけてるだけなのです。

前も述べたように、私の家族はコンビニは行かないし、ファミレスやマックも行かないし、ディズニーランドやユニバなどの遊園地も行かないし、スマホやネットやゲームなどにはお金を使わないし、20万円もするペットショップの猫じゃなくて捨て猫を拾って飼ってるし、アイドルのコンサートやグッズも買いません。

そして、同じ沖縄旅行でも多分見る所が違うと思います。

アメリカンビレッジとか国際通りとかビーチじゃありません。

私は沖縄の歴史や文化、そして風土を見に行くのです。

具体的には玉陵や識名園、斎場御嶽、世界遺産にも登録されたいくつかのグスクなど、琉球王朝時代の遺跡、

また、第二次世界大戦の名残である、ひめゆりの塔や旧海軍司令部壕、各地に散らばるガマと呼ばれる塹壕など、

そして、現在沖縄に残るアメリカ軍基地と平和問題に関連する地域や人々の感情などです。

そして、これは推測ですが、人のSNSの記事や写真を見てうらやましがっている人の心は結局、その人が他の人のまねをしたところで埋まることはないと思います。

だって主体性がないから。

例えば世界的名器と呼ばれるストラディバリウスのその音色のすごさがわからない人が1億円を払ってそれを手に入れたとしても何も心が満たされないでしょう。

それと同じことです。

ちなみに私は人がうらやましいと思うことがほとんどありません。

自分が主体性を持って、やりたいことをやっているからです。

もっと言えば、うちの家族や親せきはみんな幸せそうに生きています。

うちの両親は近所を歩いて季節の移り変わりを楽しんでいます。

こないだも「あけびこのはの幼虫!」とか「ながさきあげはがいた!」とか言ってはしゃいでたし、

弟は望遠鏡で「木星の衛星が並んだ!」と言って家族でのぞき込んだりしていました。

叔父は定年退職後、全国行脚(本当に歩いて全国を回っている)しているし。

全然お金のかからない、それでいて本人たちは本当に楽しそうに暮らしています。

というわけで、人のことをうらやましく思ったり、ねたんだりする人はよく考えて下さい。

本当に自分がしたいことはなんなのかを。

人がやってるからやりたい、になっていませんか。

人気があるから、有名だから、はやっているからという理由で食いついてませんか。

マスコミやCMや商業資本主義に踊らされてませんか。

それではいつまでたっても心は満たされません。

それは不幸な人生です。

お金がなくても楽しいことは身の回りに山ほどあります。

それを見つけたとき、そこから幸せな人生が始まりますよ。

というわけで、私の今度の目標は「北海道自転車の旅」です。

また、たくさんの面白い出来事、たくさんの心に残る風景、たくさんの親切な人に出会えることを楽しみにしています。

チリンチリン!

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