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2014年4月

2014年4月30日 (水)

そんな答えだったのか!

基本的に授業中は学習に専念して行っていますが、時々生徒の質問でとてもよいテーマや気づきがあった時は一旦授業を中断して、それについてみんなに考えさせたり、これまでの経緯や世界の現状などを教えたりします。

生徒が一方的に先生の話を聞くのではなく、自ら考え、議論を重ねながら学ぶ、これが本当の教育ですね。

幕末の松下村塾もマサチューセッツ工科大学のサンデル教授もそうですし。

先日、T君からこんな問題が提起されました。

「先生~、何でこんなに貧富の差があるの?みんな平等にすればいいじゃん。」

「ほ~、それは面白い意見だな。どうやって平等にするの?」

「みんな同じ給料にすればいいじゃん。てか、お金もなくして物々交換すればいい。」

「なるほど!それは面白い。実は同じ考えを持った人が100年前にいたんだよ。で、実際にそんな夢のような素敵な国を作ったんだよ。」

「へ~!今もあるの?」

「うん、あるよ。その国は25年前に崩壊したけど、それを真似した国が今でもたくさん残ってるよ。」

「どこどこ?」

「北朝鮮。」

「え?」

「人間は資本主義だろうが、共産主義だろうが、結局、一部の人間が権益を握る構図になっちゃってるよね。

じゃあ、ついでにもうひとつ。これは先生の人生最大のテーマでもあるけど、どうしたら戦争はなくなるかな?」

そしたら、T君がとてもいい答えを出しました。

「世界をひとつの国にすればいい!」

「なるほど!それはすばらしい!同じ国の人同士なら喧嘩しないな。よし!じゃあ先生が『世界をひとつにする党』を作るからみんな入党しろ!」

時に子供はすばらしい答えを出します。

なぜ大人はこんなに大勢いるのにこんな単純な答えが出てこないのでしょう?

というわけで、これから全人類にこの党に入ってもらう予定です。

入党の方法はとても簡単です。

あなたの隣の人を愛して下さい。

早くこの地球がみんなが仲良く暮らせる星になりますように。

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2014年4月29日 (火)

この世で一番幸せなこと

「若いときの苦労は買ってでもしろ」

昔の人はすごいと思います。

私も「人を一番成長させるのは渇望」であり、「一番幸せを感じるのは苦難」だと思います。

例えば「恋愛」。

「ロミオとジュリエット」や「曽根崎心中」など、古今東西、人は困難や苦難があるほどにそれを達成しようと頑張り、それが成就された時にとても幸せを感じるのでしょう。

私も好きな人に電話するのに、わざわざ公衆電話まで行き、相手のお父さんが出て、あせったりしながら恋愛をしてたけど、やっぱり楽しかったですね。

今の子は自分の部屋があり、自分のスマホがあるので、親の知らないところで、ラインで自分の好きな時間に好きな場所から自由に連絡ができちゃうので、拍子抜けするほどすんなり恋愛できちゃいます。

わかりやすい例えは「旅行」。

富士山の山頂からご来光を見るのに、麓から自分の足で登った人と、全部車やケーブルカーなどを使って登った人では、同じ感動を味わえるでしょうか?

よくある例えは「料理」。

どんなに高級なレストランの料理でも満腹の時にはあまり幸せを感じられないが、ものすごく空腹なときは普通のお茶漬けだけでもおいしく感じられるでしょう。

そう考えると、今の子たちはあまりにも満たされすぎていて、心から満足したり、幸せを感じたりすることがなかなかできないんじゃないか、と思うのです。

「まぁ、そんなに考えなくても、どうせお腹はすくんだし、その時好きなものを食べて、そこそこ幸せならいいじゃ~ん」と思う人もいるでしょう。

でも、ここにとても怖い話があります。

「脳」の変化です。

脳には幸せを感じると分泌する物質があり、それがやる気や生きる力、さらには病気から身を守る免疫力まで高めるといった働きがあるのですが、そこそこの満足だと、この物質が出なくなるのです。

すると、今度はもっと強い快楽じゃないと脳が満足しなくなり、欲求はどんどんエスカレートしていきます。

特に自分の思い通りにすべてが満たされている人ほどそれが顕著で、ゲームやテレビ、食欲や買い物欲などの自己欲求のまま行動している人、あるいは未成年時の飲酒や喫煙、薬物などは最悪で、脳全体の機能が低下し、最終的には自暴自棄になり、自殺や殺人に至ることもあります。

おそらく、世の中の大半の人が「便利で楽な世界」を望んでいると思います。

ですが、そうなればなるほど、不幸せに感じる人やうつ病などの精神疾患を患う人の数が増えているのは皮肉なことです。

だから、私は自転車で日本一周をしているのです。

自転車で鹿児島の桜島が見えてきた時は大感動で、大声で叫びましたよ。

大好きな焼肉も年3回、水泳やトライアスロンの大会後の夕食だけ、と決めており、その時はものすごく幸せを感じて、脳から何か出てる感じがします。

そう考えると、この世で一番幸せを感じているのは、慎ましい生活で修行をしている禅僧なのかも知れませんね。

ですから、子供たちにはもっともっと、部活や勉強、家事手伝いに励んで、苦労をし、ささやかなことで大きな幸せを感じてもらいたいですね。

なんなら、ワイズで「禅寺修行ツアー」を企画して、お寺に何日か篭らすのもいいかもしれませんね。

「家族がいてくれる」という普段見えなくなってしまっている幸せに気づいて、お母さんの顔を見ただけで泣いて喜ぶかもしれませんよ。

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2014年4月21日 (月)

ちょっとした違和感

最近、子供たちを通じて世の中の変化に気づかされることがあります。

先日、「5+6=~」や「私の電話番号は~です」という文を使って英数字を覚えさせるという単元の授業を行なった時のことです。

私は例年通り、「ほな、この例文に倣って自分ちの電話番号を当てはめて英語で言うてみぃ」と一人ずつ言わせようとしたら、子供たちが言います。

「え?これは個人情報だから、でたらめの番号でいいよね?」

「家の電話番号、知らない・・・。」

確かに、でたらめでも数字を覚える勉強になるから構わんけど。

何か、世の中全体が疑心暗鬼に包まれているようで少し残念な気持ちになりました。

どうも過剰に反応しているように感じます。

たとえば、就職試験の面接で

「では名前と出身校を教えてください。」

「個人情報なので、お答えできません。」

もちろん、彼らを責めるつもりはありません。

悪いのは、そういう個人情報を悪用する人たちですから。

また、別の授業で、「Shall I ~?」の構文を教えていたら生徒が「上からじゃ~ん!」と言ったのです。

「~しましょうか?」という意味なのですが、今の子供たちにはこの表現がとても高飛車な感じがするそうです。

「窓をあけましょうか?」

「は?何様のつもり?」

だそうです。

また、ワイズのイベントで子供たちがおやつを持ってきた時、みんなで交換し合っているのもとても違和感を感じました。

私が子供の頃は、おこづかいはないし、少しのおやつを兄弟で分けると自分の取り分はわずかで、常に飢え乾いていたので、なかなか人に分け与えるなんて発想は出てこなかったですね。

ガムは味がなくなっても、銀紙に包んで何日にもわたって噛んでましたし、駄菓子屋のくじつきガムも当てるコツをつかんでかなりの確率で当ててました。ゲーセンのメダルゲームもものすごい動体視力と反射神経でかなり増やしましたし。

もっと言えば、よくお金持ちの奴からお菓子やおもちゃ(メンコや怪獣の消しゴム)をちょっぴり睨みながら語気を強めて手に入れて、お祭りの時などにダンボールで店を作って、それを売って資金を得ていました。

とにかく、頭と腕力と口を使って、どうすればお金やお菓子やおもちゃを手に入れられるか、あるいは増やせるかを考えていましたね。

おかげで、頭の回転もよくなったし、体も鍛えられたし、なにより交渉術が身につきましたね。

今の子は、そんな渇望した状況なんて考えられないくらい満たされているのでしょう。

ひょっとすると、今の日本の外交の弱腰はそこに原因があるんじゃないのか?と思ってしまいます。

「中国さんも南北朝鮮さんもお金を上げますのでミサイル撃たないで下さい」みたいな。

また、今の子が平気な顔して「試食や試飲」にがっついていることにも違和感を感じます。

私は満たされない生活をしていましたが、試食などはしませんでした。

それは親から「品がないことは絶対するな」と躾られたからです。

「買う気がないなら、手をつけない」

これが品格です。

残念ながら、今の子はこんなに満たされているのに、品格が失われています。

せめて、私が教えているワイズ生だけでも、強くたくましく、そして品と素養のある人間に育てたいと思います。

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2014年4月19日 (土)

人間を育てています

ごぶさたしている間にすっかり春になっちゃいました。

この間にもいろいろなことがありましたが、特に「春のワイズ遠足」は楽しかったですね。
ご存知のとおり、今回もまた道のない雑木林の中を探検しました。
川を渡るのに石や木で橋を作ったり、長靴をはいた者がおんぶしたり、創意工夫と相互扶助をしながら楽しく探検してましたね。
ま、結局すっころんで、全身ずぶぬれになってましたが。

さて、今日は、その中の一人、T君のお話です。
彼がワイズに来たのは私の母からの紹介でした。
ADHD(多動性障害)とてんかんと学習障害を持った子で、学校や習い事の先生たちにひどい仕打ちを受けてきた、ということでした。

私は一応、教育に関するありとあらゆる著書を読んできたので、偉そうな肩書きを持った専門科の人より知識はありますが、実際にそういう子を教えてきた経験はまだ数例しかなく、まずは体験授業という形で預かることにしました。

はじめの面談で、「きつく怒ったりするとてんかんの発作が出てたいへん危険ですので、そのときの対処は・・・・」と保護者から言われたので、はて、どうしても怒らなくてはいけない時にはどうしようと、考えていました。

ただ、このときの私も含めてですが、彼がそういう疾患を持っていることによって、周囲の大人が彼に対して腫れ物を触るような扱いをしてきたような感じも受けました。

それはいろんな形でわかるのですが、特に彼の言葉遣いによく表れています。
彼は小学2年生ですが、同級生はもちろん、年上の子や、さらに先生である私に対しても暴言を吐きます。
「おめ~はだれだぁ!」 「先生はこれ、できんのかよ!」

私はすぐに彼がよい方向に向かう方法を見抜きました。

それは「社会性を身につけること」です。

というわけで、たくさんの子と遊ばせ、ほかっておくことにしました。
するとまず、周りの子が彼に「先生にそんな言葉使っちゃだめだよ」と諭しました。
はじめはすぐ私のところに来て、自分の思いどおりに事が運ぶように要求してきましたが、私は相手にしません。
すると、なんとか自力で仲間になろうと、彼の言動が少しずつ変化してきました。
もちろん本人にもきちんと話をしました。
「お前に足りないのは社会性だ。これは人が生きていくうえで一番大事なことだ。お前が今後素敵な人生を歩みたいなら、たくさんの子と交流し、社会とはどういうものか肌で感じてこい。」と。

そんなある日、彼が隣の薬局の試飲コーナーから紙コップを持ってきました。
そして、そのコップが道路に落ちていました。
私はそれを見つけ、彼に「おい、道路はゴミ箱じゃない、ちゃんとゴミ箱に捨てろ。」と言いました。
すると彼が「ち、なんで俺が」と言ってごみをそのままにしたのです。
ブチッ!
「こらぁ~!この道路はお前の私有地か!ゴミ箱にちゃんと捨てろ!!」
しまった!
私はてんかんのことを思い出したがもう遅い。
しかし、彼のその後の行動はいたって普通でした。
普通の子が怒られたときと同じように、目を丸くして驚き、素直にごみを拾ってごみ箱に捨てたのです。

私は確信しました。
この子はただ、きちんと怒られた経験がなかっただけだと。
というわけで、彼に対しても自論の教育どおり、「善いことをしたら褒める、悪いことをしたら叱る」ただ是に基づきこれからも多くの子を育てていきたいと思っています。

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