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2013年11月

2013年11月21日 (木)

パンパカパーン!あなたのレベルが上がりました。

すっかり紅葉ですね。

さて、今日は「ワイズクエスト2」について。

先週水曜日からいよいよ始まったワイズクエスト2。

1週間が経って、子どもたちからいろんな質問が出てきました。

「学校の図書館においてある日本の歴史(漫画)を読むのにチケットは必要ですか?」

「ニュースも含んだバラエティ番組はチケットいるの?」

「ラジオは聞いてもいいですか?」

「家族がテレビを見ているときに一緒に見るのは?」

「お父さんが漫画を勧めてくるときは?」などなど。

こうやって判例六法ができあがっていくんだなぁと思いました。

細かいルール規定は各家庭の裁量にお任せします。

さて、今回も前回に引き続き、ゲームのお話をしたいと思います。

私自身、ゲームの凶悪性については熟知しているが、では逆から見たらどうか?

つまり、ゲームの魅力とそれに心奪われる子どもの心理を考察してみよう。

まずは3つ。

①達成可能な目標

②成長の可視化

③称賛演出

まず①は「適度な目標設定」ということだ。

バスケットゴールの高さなんかいい例だ。

あれが、地上50mにあったら?または1mのところにあったらどうだろう。

おそらくやる気は続かないと思う。

そこんところ、今のゲームは上手にできていて、少し頑張れば手が届くような絶妙な目標設定になっているから、のめりこんでしまう。

これを勉強で例えると、一度勉強に遅れて、ゴールが地上100mになってしまい、とてもやる気が起きなくなる。

また、②はスコアやレベルが表示されて、自分の成長が目に見えてわかるということだ。

敵を倒せば、得点が増える、そしてレベルが上がる。

自分が成長している、今までの努力が報われていると感じる。

ここんところもゲームは非常に上手にできている。

これを勉強に例えると、小学1年生は100点だったのに、学年を重ねる毎にテストの得点が減っていく。

これじゃ、つまらないだろう。

そして③は「達成時の祝福」だ。

ゲームをクリアするとファンファーレが鳴り、「ステージクリア」とか、「お前はよくやった」などと表示されて褒められる。

これも、勉強に例えると、親の目標ハードルが高すぎて(親からすれば全然低いと思う)いつまでたっても褒めてもらえなかったりするから子どもは嫌になる。

こう考えると、ゲームが楽しい理由と同時に、勉強が面白くない理由もわかってきます。

そこで、だから、ワイズクエストなのです。

ワイズクエストはこのゲームにハマる3つの要素をうまく取り入れた学習なのです。

つまり、楽しく勉強ができるのです。

ちなみにこのゲームの3要素をゲーミフィケーションと言います。

ご家庭でも、職場でも、上手く取り入れれば、日々の生活を楽しくできますよ。( ̄ー+ ̄)

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2013年11月 7日 (木)

操る者と操られる者

今回は「ゲーム」についてお話しします。

これまで書いてきたように、私は子どもの教育にとって、テレビ、ネット、ゲーム、ケータイは人生を壊滅させる凶悪極まりないものと考えています。

ジャンボジェット機を無免許で子どもに操縦させるようなものと本気で思っています。

では、ロミオ先生はテレビもネットもゲームもケータイもやらないんだ、と思うでしょう。

ところが私もゲームを持っていたんです!

私の世代(今年で41歳)のゲームと言えば「ファミコン」です。

のちに爆発的な人気となり、出荷が間に合わず、店は品切れ状態、窃盗事件まで起こるほどの一大ブームを巻き起こしましたが、1983年(ロミオ少年は小学5年生)の発売当初はあまり知られていませんでした。

おそらく、発売日に買ったのは岩倉市内で、いや、愛知県内でも私の家くらいで、当然、私の周りの友達で持ってる子はいませんでした。

ここで、ロミオパパの登場です。(このブログでは初登場ですね)

私の父は学校の教師を40年勤め上げましたが、幼少の頃の夢は「ロケット開発者」という典型的な理系人間で、とにかく新しい物、とくにコンピュータ関連の物が大好きな人です。

初任給は当時最先端だった「卓上計算機」(いわゆる電卓。現在では百均ショップにもある)に20数万を払って買った人です。

そんな父が私たち息子に買い与えたのが「ファミコン」でした。

始めのうちは物珍しさもあり、やってはみたものの、反射神経や頭の回転の速い私たちには簡単で、しかも、既存のルール(つまりゲームを作った人の思惑どおりにしか動けない)内でしか遊べないという理由で、すぐに飽きてしまいました。

それより当時、興味があったのは「ゲームをする」ではなく「ゲームを作る」でした。

父はまだ当時としては珍しかった「マイクロコンピュータ」(今で言うパソコン。家庭用のコンピュータ)も持っていました。(東芝製のMZ-2000。)

もちろん、当時はゲームソフトなどなく、ワードやエクセルなどの機能もなく、ただただ自分でプログラミングして、表計算や演算処理などを行うものでした。

プログラミングと言っても今の子、いや、今の大人でもわからないと思いますが、コンピュータに「マシン語」と呼ばれる命令を、系統をしっかり整えた上で打ち込んで、指示通り動かす、というものですが、これがすべてアルファベット表記で、しかも膨大な量で、さらに1箇所でもスペルミスがあれば誤動作をおこすのでかなりたいへんです。

ですが、「自分でプログラムを打つとそのとおりにコンピュータが動く」ということがとても面白くて、「アスキー」などのコンピュータ雑誌を読みながら、自作のゲームを作ったりしていました。また、「go to」=「~へ行け」などの英単語はこのとき覚えました。(「ゴートー」と読んでましたが)。coldsweats01

ここに大きな差があると思います。

ゲームをするだけの人間は、お金と時間を無駄にし、何の人間的成長もなく、堕落した人生を送るだけ。

ゲームを作る人間は、賢くなり、しかもゲーム製作会社に入れば、それが仕事になって多くのお金が稼げる。

私は、そのままコンピュータの道に進んでもよかったのですが、どちらかというと体を動かすことのほうが好きだったので、それからあまりコンピュータはやらなくなりました。もちろん今はゲームは持っていません。最後にやったのは大学の友達の下宿先でやった「スト2」だったでしょうか。もうゲームは20年やってませんね。

今の子がゲームをずっとやり続けているのを見ると「バカだな~、操られてることに気づけよ。人生80年しかないんだから、もっと楽しいことに使えよ」と思ってしまいます。┐( ̄ヘ ̄)┌

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2013年11月 6日 (水)

その時、本性が表れる!

先日、家内と車で出かけていた時のことです。

車どおりの多い交差点で信号待ちしていたら、道路にインコがいました。

私は周りを確認してすぐに車を降りてそのインコを保護しました。

とても疲れた様子で、私が手を伸ばしてもまったく動きませんでした。

あのまま見過ごしていたら、間違いなく車に轢かれていたと思います。

その後、家内が鳥を飼っている知人に連絡をし、引き取ってもらいました。

さて、今日は「本性」についてのお話です。

今から13年前、引きこもりの少年がバスジャックをし、無差別殺人事件を起こしました。

この時、犯人がネットで殺人予告をしたこと、特殊部隊(SAT)が初めて出動したことが話題となりましたが、私の記憶に残っているのは、ある68歳の女性のことです。

あまり知られていませんが、この事件が発覚したとき、男女合わせて20名ほどの乗客がいるなかで、ただ一人、この凶器を持った犯人に毅然と立ち向かった女性がいました。

証言によれば、この女性は、窓から飛び降りて逃げ出す乗客もいる中で、正面から少年に立ち向かい、説得にあたったそうですが、逆上した犯人に切り付けられ、帰らぬ人となりました。

この方は元学校の先生で、ゴールデンウィークを利用して、孫に会いに行く途中、この事件に遭遇したそうです。

とても責任感のある、そして子どもを最後まで信じる、勇気のある行動に私は同じ教育者として、とても熱いものを感じ、そして、もし私がその場にいたら同じことをしただろう、と思いました。

また、12年前、東京の新大久保駅で転落人身事故がありました。

泥酔した男性が線路に転落、そのとき、日本人男性と韓国人留学生が救出しようと飛び降りたが、3名とも電車に轢かれて死亡しました。

折りしも、時間帯は帰宅時間でホームには何百人もの人がいたはずです。

その大事な決断の瞬間に、動けるか、動けないか。

ここにその人の本性、人間性が見えると思います。

私は間違いなく、動いてしまう人間です。

スケールは違いますが、インコを救い上げたとき、体が勝手に動いていました。

目の前に困っている人がいる→助ける。

もうこれは、理屈ではなく、その人が持っている本性なのでしょう。

練習して身につくものではないからです。

上記の事件、事故はどちらも悲しい結果となりましたが、ワイズの生徒たちには普段から困っている人を無条件で救える人になってもらいたいです。

私も普段は家内から「人の気持ちをもっと理解して」と言われますが、インコの件では少し見直してもらえたようです。( ̄▽ ̄)

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2013年11月 2日 (土)

多分、これ誰も知らないんじゃないかな?

前回に引き続き、今の子どもたちについて私が思ったことを書きたいと思います。

今回は「褒めると叱る」について。

以前も書きましたが子どもの教育の基本は「褒める」と「叱る」です。(もちろん大前提に「無償の愛」がありますが。)

そして、実はこの2つのやり方を間違えてる方が多いのです。

まずは「褒め方」。

たとえば、「テストで100点を取ったら褒める、いい子にしてたら褒める」。

当たり前と思いますよね。

実はこれは大間違いです。

批判覚悟ではっきり言いますが、子どもが犯罪者になる確率が上がります。

この褒め方だと、子どもは「成績がよくないとダメなんだ、いい子にしなかったらダメなんだ」という価値観を抱き、それを維持しなければいけないというストレスを抱えることになります。また、それができていない子をバカにしたり、いじめたりする原因にもなります。

これは特に「人はこうあるべきだ」という概念をたくさん持っている親や、「ああしなさい、こうしなさい」と子どもにたくさん指示を出す家庭でより顕著になります。

そういう子は自発的な倫理観が身につかず、基本的に親の言うとおりにしていればいいんだ、という判断が身につきます。ここに危うさがあるのです。

つまり、人に言われたことには従うが、誰にもバレなければ「これくらいのことはいいだろう」と自己本位な行動をする恐れがあるのです。

指示や命令で育つと自己の道徳観で行動するのではなく、他者の評価が優先されます。

他者(おもに親)の考えが基準となり、自分の中で確固たる価値判断が作れなくなるのです。

ではどうやって褒めればよいか。

簡単です。

子どもが頑張ったとき、勇気を出したときに褒めればいいのです。

それはたとえテストが0点であっても、子どもが頑張ったのなら褒めるのです。

たとえば、子どもが勇気を出して、「財布からお金を取りました」と言ったときに褒めるのです。

ここで「叱る」方が大半だと思いますが、それも大間違いです。

まずは褒めるのです。

それから、反省や詰問ではなく、「なぜそれをやってしまったのか」を聞き、その言葉を肯定的に受け止めながら、吐露させます。そこで初めて本人が素直に罪と向き合うことができて、更正に向かえるのです。

どうですか?

「褒める」と「叱る」が逆になっていませんでしたか?

最後にもう一つ。

子どもは子どもらしく、素直に、ありのままに育てることが大事です。

そんなことすると、とんでもない子になる、と思われた方。

子どもは言わなくても、大人の行動を見て真似をし、自分の中で倫理観を身につけていきます。

大人が正しいことをし、褒めると叱るを正しく使えば、子どもは間違った道へ進むことはありません。( ^ω^ )

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