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2008年12月 1日 (月)

犯罪についての一考察

今日は犯罪について考えてみたいと思います。

そもそも、性善説が正しいなら、この世に法律も、警察も、裁判官も、検察庁も、刑務所も

要らないのです。ボディガードも金庫も鍵もセキュリティ会社も要らないはずです。

でも、実際にそれらのものが存在するということは、悲しいかな人間は性悪なのでしょう。

私は悪いことを考える人の行動や心理がさっぱりわかりませんが、この世に生きている

以上、また子どもたちに社会というものを教える立場上、避けてはいけないと思い、

考えることにしました。

まず、人間には欲求があります。強欲な人もいれば、無欲な人もいますが、少なくとも

睡眠欲や食欲などは、生きていくうえでなくてはならないものです。

それが完全に個々が独立して生産をし、消費を行えば問題はないのですが、

人は叡智を持った生き物なので、みんなで協力し合えばよりよい生活ができると思った

のでしょう。始めは共存共栄で仲良くやっていたのに、そこへ強欲な者が現れ、

武力でもって富と権力を手に入れ始めました。それでは不平等だということで、革命が

起こり、憲法が作られ、人類は自由と平等を手に入れたのです。

つまり、現代というのは、みんなで決めたルール(法律)により、個々で生きるよりも

みんなが幸せに、そして、なるべく貧富の差がないように保たれているのです。

ですから、貧欲なのは罪ではないが、このルールを破ってまで自己欲求を満たそうと

するものは、罰が与えられるのです。それは世界の秩序を乱す者ということであり、

公共の福祉に反することなので、この世界から除外される者ということになるのです。

さて、自分を振り返った場合、幼いころ、こんな小難しい話を親から聞いたわけでは

ありません。はて、どうやってこの暗黙のルールみたいな事を身につけたのだろうと

考えてみたら、恐らく学校や仲間内や家族や地域とのつながりの中で知らず知らずの

うちに身についたのだろうと思います。

例えば、砂場で園児が遊んでいて、自分も使いたいからとその子の持ってるスコップを

奪えば、当然そこに利害が生じるわけで、それを保母さんが上手に説明し、スコップは

1つしかないから仲良く交代で使ってね、と教えるような感じでしょう。

つまり、自己の欲求だけでは世の中は成立しない、みんなが力を合わせれば素敵な

生活になる、ということを少しずつ覚えていったのでしょう。

自分が今なぜ、自分の欲求のままに悪いことをしないのか、その抑止力は何なのか

と考えると、自分が得することによって、世の中の誰かが損をすると理解しているから

なのでしょう。

しかし、最近そんな人間社会学にとって大切な善悪の判断が鈍ってきている気がする

のです。物があふれて他人とそんな衝突をすることもなく生きてくれば、そんなルールを

学ぶ機会も少ないからでしょうか。

先日、私の知人が信号無視をした若者に向かって注意をしたら、「オメーにはカンケー

ねーだろ!」と返事がきたそうです。あなたならこんな時どう対処しますか?

知人は当たり前の顔をしてこう言いました。

「関係はおおありだ。みんなが先を急いでるのを我慢して赤で止まっているのに、

自分だけ進んでいいというのなら、みんなが信号無視したら、世の中はどうなる?」と。

ルールはみんなが守らなければ意味がありません。

どんな些細なことでも同じです。カンニングでも、自分さえよけりゃ、とズルして点数を

稼げば、勉強を頑張った人の努力を踏みにじることになるのです。

勉強の前に、今一度、人間として、善悪の判断を子どもたちに教えたいと思いました。

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